久々の近況報告

歳はとりたくないね

50半ばまで1度も入院なんてしたことないこに…

そして
入院中はブログをたくさん書こう
と思ったのに、
利き手が今朝まで固定されてて
左手でなんとかラインとかメッセージ書いてました。

おはようございます
時代遅れの船大工のおっちゃんです。



圧迫の治具はもうすぐ外せるそうです。


私がですねー
こんな感じでボーッと入院してる間に
内田直人選手から
「帰国しましたー。結果報告です。」
とのメッセージが…

たくさん返事をしたかったが
なんせ右手が使えないので
いいね。をポチっつとだけ。

改めで
内田直人くんを説明しますと
いまサーフスキー(ロングディスタンス系)を漕がすと日本で1番速い人。
ずっと船大工のおっちゃんが造ったサーフスキーを乗ってくれてる人。

なんです。


その内田直人くんがちょっと前に
日本での選抜で勝ち抜いて
正式に日本代表数人の1人で
えーっとフランスの世界大会で戦って
帰ってきました。

?いやー左手でスマホを…
こんだけの文章打つのに数時間かかてます。


コピペでいこうかな
キツいわ(左手)

以下内田直人くんの大会報告です。

Ocean Racing World Championships 参加に伴う報告

2019.9/10-14の期間、フランス キプロンへ日本代表として、Ocean Racing World Championshipsに参加して来ました。日本代表としては私の他に、男子3名 大西選手、清水選手、千々岩選手、女子1名 牧野選手が参加し、日本代表チームとしては総勢5名となった。
フランスへの移動は9日で当初予定していましたが、台風15号が9日早朝上陸し、車にて成田空港に向かったものの、通行止めの高速道路も多く、自宅 藤沢から成田空港への移動で13時間を要した。当然ながら、予定していたフライトには間に合わず、夜間か10日のフライトで向かうことになった。更に成田空港やその周辺も被災しており、9日の夜は成田空港から出ることもできず、空港で夜を過ごすことになりました。

フライトもオランダ航空からエールフランス航空への変更ができ、10日のお昼の便で成田空港を飛び立ちました。その後、フランス パリでナント行きのフライトに乗り換え、フランス ナントに着いたのが10日の23時過ぎに到着。
そこで更なる問題が発生。予約していたレンタカーが取れてなく、タクシーの運転手と交渉し320ユーロにて、キプロンにある宿泊施設まで移動しました。心も身体も散々な状態。
宿泊施設に着いたのが11日のAM1時台で就寝したのがAM2時でした。
遅くなりましたが、今回、渡仏については、昨年ワールドカップに参加した経験がある大西選手 ※明さんや牧野さんと共にすることができ、とても心強かった。フライトも期間中使用したWi-Fiも明さんに準備していただき、宿泊施設については牧野さんに手配をしてきただき、3人で過ごすことが多かった。

事前にトレーニング仲間の帯谷さんやepic japanの福永さんの知り合いでもあった、オーストラリアのクォーナさんと連絡を取っており、11日15時にレースが実施されることから、11日の7時30分に宿泊施設付近にクォーナさんに迎えに来ていただきました。有難や!!レースに必要な準備や食事もあり、5時過ぎに起きたため3-4時間ほどの睡眠時間。
先ずは、艇のレンタルや脚の位置調整を行うため、大会本部会場と思っていましたが、ク
ォーナさんの計らいでゴールのランドマークの確認をしにゴールエリアに行き、鉄塔や岸壁、家々など確認することができて助かりました。
その後、大会本部に行き、参加費の130ユーロを立て替えていただいてた牧野さんに手渡し、艇やハイドレーションとして使用したメダリスト1.75Lを艇のフットプレートの前にセットし、ウェアなど諸々の準備し、11:30のスタート地点への移動する車に乗り込みました。今回の艇は、香港 dragon runで乗り慣れているFENN elite Sを200ユーロで借りました。

12:30過ぎにはスタート地点に到着し、艇をおろして、ハドレーションの調整や艇への貼付け、ウォーミングアップ、捕食を取るなどスタートの15時まで行った。天気は曇り、時々小雨降ったりもしてました。波は視認できる波はなく、見た目はフラット、外洋に出るとゴール方向に向かって右斜め後ろからうねりがありました。

スタートはビーチスタート。オーシャンスキーでは初めてになるジャンプスタートをすることになった。 先ず女子がスタートし、シニア※オープン カテゴリーの私たち以外にジュニア、アンダー23も同時にスタートした。3つのカテゴリーが同時にスタートするため150艇が横一線に並びスタートした。
スタートのフォーンが鳴り、スタートダッシュの流れになるべく乗り、少しでも前にポジョニング出来るよう試みたが中盤くらいに位置するのが精一杯。
レース前から目標にしていたアメリカ代表のRyanの背中が5km付近で見えたため、追いつかないものの背中を視認できるように頑張って漕ぎ続けた、徐々に離れて、10km過ぎの時点では見えなくなってしまった…
今回は前述したようにうねりは右斜め後ろから来ており、ひたすら斜め後ろから来るうねりを掴み、掴んでは右右に舵を切り、ゴールに向かってあまり左寄りにならないように心がけた。そして、いくつの集団になることもあり、その集団の中にいられるよう努力をした。前方に見える同じラッシュカラーのオレンジの選手がいる「追いつけ、離れるな、離れるな」と念じて、パドルに継続して力を込めました!

5.10.15kmと日本新薬 winezonのジェルも3度摂取し、集中力や余力を呼び起こすことができた。因みにカフェ入りは5kmと15kmに摂取。
ゴールエリアの目標にしていた、岩壁が見え始め自身が持っている力を絞り出す感じで、
ラストスパート!前方や周囲の選手もラストスパートし、最後の最後までしのぎを削るレースとなった。レースの距離は21.9km、タイムは1時間50分12秒14、シニアカテゴリー75人中49位でした。トップ選手とのタイム差が22分となり、目標としていた20分切りはできず、あと5分、10位は先ずは縮めたいと思いました。前回の香港の世界大会よりかなりレベルは上がっており、より一層の努力が必要に思えた。

翌日はマスターズとパラカヌーのカテゴリーレースが実施され、各国のマスターズの方々が参加しており、日本のマスターズの方々もエントリーしてもらえたらなぁと思った。
また、波打ち際に複数のスタッフを配置しサーフスキーから降りた選手に対し、ゴールゲートまでサポートするなど、パラのオーシャンカヌーレースが行える環境づくりがされており、素晴らしく思えました。

ゴールの会場や表彰式の会場では、レース終えた各国の皆さんがおり、色んな人たちと話をすることができました。シニア※オープンで優勝した南アフリカのSEAN RICE選手にトレーニングについて聞くと、週6日で150km 休みは週1日とかなりハードなメニューを課して、この大会の調整をしていることにはびっくり。
国際レースに参加すると毎度思うことだけど、トレーニングのメニューや回数・海や河川などの環境・仲間、食事、メンタルなど向上・成長できることと、
そもそも変えることができない、遺伝子というのか筋肉・骨・血液・神経など身体組成が違うのか改めて考えさせられることが多かった。
私自身レース中は、目の前にある30秒縮める/15m縮めることがかなり難しいことをまた実感させられた。
とは言え、ダウンや斜め後ろやサイドのうねりを掴める技術力、後半のうねりを掴むための体力がそもそも足らんなぁと思いました。

来年はポルトガル、再来年はスペイン、その次がオーストラリアかタヒチと続きます。今後のことは今は考えられませんが、今回得た経験、目の当たりにした技術力や体力を思い出しながら漕ぎ続けたいと思います。

最後に、今回色々なハプニングがありましたが、自身に課せられたこと、必然だと思い乗り越えて来ました。
この経験を乗り越えられたのも、ひとえに色々支えていただいている皆さんがいたから、レースに挑むことができ、最後まで諦めず成し遂げられました。本当にありがとうございました。
これからも引き続き、挑戦し続けたいと思っております。今後ともご支援のほどよろしくお願いいたします。


という
報告文でした。

みなさん機会があれば
サーフスキーってのをググって下さい。












と言うことで
船大工のおっちゃんでした。
ではまた(@^^)/~~~

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