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築地俊造兄が天国に

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    2017年4月14年亡くなられました。


    船大工店のおっちゃんです。
    おはようございます。

    ここ30年は殆んど交流無かったんですが
    お見送りに行ってきました

    私が学生の頃は毎日
    俊造兄、他いろんな唄者が集まって『唄あそび』やってましたね
    当時の事 久々に思い出しました。

    私の親父も一緒になって毎日毎日『唄あそび』やってましたね。

    我が家はプライベートな部屋など無かったです。
    10代で思春期で反抗期の私は
    毎日 我が家で『唄あそび』やってる人たちが嫌で大キライで仕方がなかったですね。
    だから学校から帰ってくると
    「あーまた今日もだな」
    半ば諦めていたんで
    飯食ってすぐ自分の部屋でとじ込もって一切出て来なかったり、友達の所へ遊びに行ったり夜中『唄あそび』が終わった頃を見計らって寝るだけに帰ってましたね(笑)

    そんなことなんで意識して島唄関係者とはかなり分厚い壁を造ってました。

    今思えば
    俊造兄ょに可愛がってもらってたのに…とか
    いろんな事思い出して後悔してますね。



    左が築地俊造兄の息子。理昇。
    右が坪山豊の息子。私。


    上のショット
    島っちゅ(島んちゅは沖縄の方言です。奄美はシマッチュ)は理解出来ると思うのですが、
    島外の人は違和感感じる写真だと思います。
    私と理昇の表情…
    けして笑顔では無いんですよ。

    島外の人が奄美大島の御通夜に出席するとびっくりするはずです。
    交通事故とか突然の不幸は別として
    奄美で行われる御通夜は
    皆で昔の思い出話とかいろんな話をしながらね
    都会の御通夜に比べると明るいような感じです。
    声を出して笑ってる人もいたりして
    でもよく見ると涙流してたりしたりして
    不思議な光景だと言われますね




    ↑拾い物の写真です


    私の親父もばーちゃん(豊の母)の御葬式の時に突然
    三味線弾きだして唱い始めたのを覚えています。それも悲しい唄では無いヤツをね
    当然怒る人もいましたね。
    親父の思いを知らない私も何で?
    って思ってたんすよね。

    その時に初めて聞いた話なのですが
    戦前奄美大島はまだ1夫多妻の家族構成が多くて、実際ばーちゃんも今風で言えば事実上シングルマザーだったようです。
    もっと複雑な感じな話でしたが、
    小さな集落で独りで4人の子供を育てて大変苦労をしたばーちゃんらしいですね。
    日陰で一生を過ごしていたらしいんです。
    生きてる時は苦労しか知らないから
    それで最後はだけは皆で唄って見送りたい

    って事でした。

    で親父から個人的聞いた話は
    昔は奄美大島自体が奴隷制度のような環境だったらしく
    見送る時は皆で生前の昔話で花を咲かして見送るのが多かったらしいですよ。



    ↑拾い物の写真です。



    これが島っちゅの見送りかただから
    お前もとーちゃんの(親の)見送りかた理解してくれ。
    って教わりました。

    お断り
    全ての島っちゅがそうではないと思うので
    気分を害する人も居るかもです。
    そう言う人にはご免なさい。


    と言うことで
    船大工のおっちゃんでした。

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